走らん哉

走ることの諸々を書いていきたいと思います。

駅伝日本一、世羅高校に学ぶ 「脱管理」のチームづくり (光文社新書) 岩本 真弥 (著)

 

試行錯誤の中でたどり着いた指導スタイル

 

 全国高校駅伝で2015年にアベック優勝に導くなど、駅伝の名門世羅高校を復活させた岩本真弥監督がその秘密を明かした著書。

 元々は生徒を厳しく管理する指導法をとっていた岩本が試行錯誤の上にたどりついたのが、「なるべく言わない」「生徒に考えさえる」という「脱管理」の指導スタイル。 

 「脱管理」と言ってもただの放任主義ではない。「挨拶励行」「整理整頓」「時間厳守」という世羅三訓を重視し、生活態度などで目に余る行動がある選手には厳しく言う。 

 「走り込みをしないとマラソンは速くなれない」という“陸上界の常識に反し、世羅の練習は、1日1時間半の練習を週に5日、2日は自由。決して多くないが、無理しない練習を、毎日コツコツと継続することで力がつくという考えからだ。

 厳しく選手を管理し、精神論をふりかざす古い指導スタイルへのアンチテーゼとも言えるアプローチが名門を復活させたのだ。

 

駅伝のまち、世羅 

 生活態度を改め、効率的なトレーニングで成果を出すというのは、スポーツ、特にアマチュアスポーツの世界ではよくある成功パターンだ。世羅の復活には、町ぐるみの強力なバックアップがあったことも忘れてはならない。

 寄付、農産物の物的なものだけでなく、クロカンコースの草刈りボランティアなど労苦も町の誇りのためならいとわない。

 名物OB、神田敬州修善院住職のように、修善院をランナーの人気スポットにするなど駅伝のまち、世羅のイメージアップに貢献する人もいる。

 

次の世代にタスキをつなぐ

 公立高校教師の宿命である転勤に備え、岩本は次の世代へ「タスキをつなぐこと」を考えているという。町にOBの受け皿を作り、中国電力の坂口泰監督、青山学院大の原晋監督など世羅OB、自治体も巻き込んでのランニングクラブを設立すること。

 それは世羅高校陸上部を核とした町おこしである。

 

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日本のマラソンはなぜダメになったのか [著]折山淑美

レジェンドたちからのダメ出し

 

宗茂瀬古利彦中山竹通、児玉泰介、犬伏孝行藤田敦史高岡寿成。マラソンの日本記録を更新した7人のインタビューを通して、日本マラソンの衰退の理由を浮き彫りにしていく。


日本がまだ世界と戦えていた時代の宗、瀬古、中山のコメントは自信に満ちている。

 

私や宗さんたちがやった練習はもう古いとか、そこまで走り込まなくてもいいと言う人たちもいるけど、彼らの話しているのは2時間11分くらいのマラソンのことでしかない。「そんな練習をやらせても、今の選手にはできない」という指導者は、選手にマラソンを走るなと端から言っているのと同じです。

 

とは瀬古はばっさり。

中山いわく「2時間10分以上かかったらマラソン選手ではない」。

児玉泰介は、宗茂と同じ練習メニューに挑戦して故障してしまったという。食事のメニューも同じものは食べられず、脂汗。

ニッポンマラソンの黄金時代の“超人”たちに較べ、犬伏以降の4人の言葉はややトーンが低い。

それでも、「今はラクをして強くなりたいという選手が多い。」(児玉)「今の選手は何かと言うと、“日本人トップ”というコメントを口にするので物足りない。」(犬伏)「練習あくまで試合のためのものなので、それまでに泥にまみれようが何でもやった方がいい」(藤田)、「トラックでも日本記録を作るためにペースメーカーを置くなどお膳立てし過ぎ」(高岡)と手厳しい。

 

現役ランナーは現実的だ。川内優輝は、30km以降切り替えに対応し最後の5kmを粘るためのトレーニングで金メダル以外のメダルを狙うということを考えているという。

 

世界が2時間切りを狙っている中、2002年に高岡が作った2時間6分16秒が更新できない日本マラソン界。この現状をクールにとらえて、現実的な結果を求めるしかないのだろうか。いっそのこと、アフリカに逆留学してマラソン修行なんて、ないよなあ。

 

 

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